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2008.08.18 (Mon)

「対話」のない社会 を読んで~~2.<対話>の敵

中島 義道 さんの、「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書) (単行本(ソフトカバー)) の感想文、その2。

思えば前記事からずいぶん日がたっている…・

1.<対話>とは何か
2.<対話>の敵(本記事)
3.<対話>を圧殺する風土



今回は、2.<対話>の敵、について。

<対話>の敵は、「優しさ」「思いやり」といった、利己主義の変形である




【More・・・】

<対話>を妨げるもの
・言語外の暴力
・言語内暴力
・「優しさ」「思いやり」等という名の暴力

「思いやり」の強調:言葉を駆使して自分の生命・身体・名誉等々を守ることよりも、身に覚えのない罪を被ることを「人間のあり方の大切な基本的なこと」とみなしてしまう危険がある。

竹内靖雄「日本人の行動文法」(東洋経済新報社)より
思いやり:相手の立場、感情を想像して攻撃抑制的な態度をとること
竹内著書本文より引用。
『思いやりは、「自分本位」から出てきたソシオグラマーである。「自分が他人からいやなことをされたくないから、他人にもそのいやがることをしない」のであって、思いやりは自己利益の追求という原則に矛盾しないどころか、利己主義の変形なのである。すべては「自分の利益本位」という原則から説明できることであって、日本人の思いやりは無条件に他人を尊重することとは違う。』

日本的行為論の「公理」:「他人を傷つけず自分も傷つかない」こと。
こういう「思いやり」は、「勇気」と合致しない。
純粋な「思いやり」:相手の立場に立って「よかれ」と思ってなしたことが、逆に相手に憎まれるかもしれない、相手に害悪をもたらすかも知れない、こうした場合をも見越してある行為をすること、そして結果に対してはきちんと責任を取ること。
「思いやり」の押し付けをしないこと、「喜んでもらう」という報酬を求めないこと。

「思いやり」の暴力:ある人々が感謝する出来事でも、他の人々にとっては害となりうる(例:車内アナウンス)

大平健「やさしさの精神病理」(岩波新書)より
○第一の屈折
1960年代後半(学生闘争時代):「それまで、身近な人々との滑らかな関係を保つだけの個人的な価値であった「やさしさ」が「集団」への指向を持った」
○第二の屈折
旧来のホットな「優しさ」:相手への同情、相手との一体感
新型のウォームな「やさしさ」:相手の気持ちに踏み込んでいかぬように気をつけながら、滑らかで暖かい関係を保っていこうとする。
他者との対立や摩擦を徹底的に避けることであり、この目的を達成するために「言葉」を避ける。
自分に異質な者としての他者を徹底的に恐れる。
 ↓
中島はこれを「日本文化の究極形態」と揶揄している。
『他人に対する配慮、思いやり、優しさばかり強調される社会における若者たちは、自分の叫び声を出せなくなってしまったのだ。たしかに何をしゃべってもだれかを傷つけるものである。だれをも絶対に傷つけないような言葉を発すること、それはもう言葉の否定以外にありえない。「コトバのいらぬウォームな関係」は、こうして追いつめられた若者がカツガツ見いだした安全地帯なのである(本文p.163~164より抜粋)』

~~~~~
注意したいのは、「配慮や思いやりを捨てよ」という主張ではない、という点。
相手を傷つけてしまう危険性を知りながら、なおかつ相手に対して言葉を発する、
『人生をまるごと背負って語る(本文p.134より)』『体験をまるごと引きずって、しかもこれらをダシにしてあるいは武器にして感情的に訴えるのではなく、あくまでも普遍的な真理をめざして論理的に精緻に語る(本文p.134より)』ということ。

私は、相手を傷つけてしまう危険性・自分が傷ついてしまう危険性を知り、それでも相手を知ろうとして言葉を紡ぐのが「対話」だと思う。
結果に対しては責任をとる必要のあるもの。
時には勇気を必要とする、とても重いもの。
EDIT  |  22:32  |  ちょい真面目<心理・思想>  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

Comment

♪最近の夜はさむい

アカリねえさん、ご機嫌うるわしゅう。
中々面白い内容ですね。

>思いやりは自己利益
個人的には自己の損失を出さない為に相手には配慮して接するつもりでいる。(一応例外はあり!)利益を求めたやさしさは、よーくみれば邪な行動が伴うから自ずとボロがでますから。

損失を出さない=自己利益という見方もなくもないが、
せめてささやかな利益というか、ささやかな温もりがあれば十分さ!(強がり)

>日本人の思いやりは無条件に他人を尊重することとは違う
その通り!
どこぞの盲目信者に聞かせてあげたい。
Sada |  2008.08.23(土) 00:32 |  URL |  【コメント編集】

♪秋の夜長・・・・

Sada さん、通常記事へのコメントはお久しぶりのような気がします・・・・。
確かに最近、明け方が特に寒くなりましたね。
夜が過ごしやすくなって、暑さが苦手な私としてはほっとしています。

(Sada さんに「ねえさん」と呼ばれるのは初めてですね。
ちょっと気恥ずかしいです(*^ー^*))

以前、図書館でこの本にであって・・・・(http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-42.html(2006.10.21) だから・・・丁度、ネットの「会話」について考えていたころですね)感銘うけて。
でも、購入までは考えなかったのですが、今回別の図書館にあって、やっぱり借りてきてしまったのです。
「会話」に悩む時つい読みたくなるようです(^^;)

>利益を求めたやさしさは、よーくみれば邪な行動が伴う
そうなんですよね。
よく見れば分かるかもしれないのですが、どうも難しくて…・人生経験によるのかもしれません・・・・。

>日本人の思いやりは無条件に他人を尊重することとは違う
その「違い」が難しくもあるし、本当の「思いやり」はもしかしたら理解されないかもしれず、相手にとっては不要なものかも知れず、実行できているかも分からず・・・・こう考えていると、ついつい立ちすくんでしまうんです。
「立ちすくむ」ことが一番良くない、とりあえず行動あるのみ、とは思うのですが。

>どこぞの盲目信者
Sada さんが何を意図しておられるかは分かりませんが・・・・私は私で、とあることを想像してしまいました(苦笑)
アカリ |  2008.08.27(水) 20:52 |  URL |  【コメント編集】

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