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2009.03.30 (Mon)

伝わらなかった想い

拙記事 中1が担任「流産させる会」…給食にミョウバン、いす細工 の、続編です。

新聞記事内容(元記事はこちら)は、前回の記事 にて全文引用したので、省略。

私は、前記事では「怒り」を全面に表した記事を書いた。
でも、心の奥底にあった想いは「怖さ」で、その怖さ故の怒りであったことを、先ず記しておく。

~~~~~
この事件が起こった背景について、少し考えてみる。

◎環境的要因
 ○社会的要因:異年齢集団での活動の少なさ
 ○学校の環境:中学校であること
 ○家庭の環境:?
◎個人的要因
 ○教員側:?
 ○生徒側:?
  ●加害者
  ●周囲にいた人(賛成・傍観・反対)



上に挙げた内、「家庭環境」「個人的要因(教員・生徒)」については、マスコミが調べるのではないかと思っている。
否応なしに。
(私は、教員にとっても、生徒にとっても、マスコミによって大々的に情報が明らかになるのは、あんまり好ましくないと思ってはいるけれど。)

なので、「社会的要因」と「学校の環境」についてのみ、書こうと思う。

○社会的要因:異年齢集団での活動の少なさ


これは、「命について考察する機会」の少なさ、と考えている。
自分の弟・妹、又は友人知人の弟・妹とふれあう機会があれば、当然「年下の者」への接し方について学ぶ。
赤ちゃん・妊婦さんとふれあう機会があれば当然「赤ちゃん・妊婦さん」への接し方について学ぶ。
少し前では、地域の場で自然と「異年齢集団」が形成されていたが、今では乏しくなっている。
学校での学習があったとしても、それだけでは少ない、のかもしれない。


○学校の環境:中学校であること


これは、中学校が教科制であることから、担任と生徒とのふれあいの時間がHR・給食・放課後に限られてしまう、ということである。
そこから考えられるのは、人間関係の希薄さである。


~~~~

【More・・・】

私が感じた「怖さ」について。

「怖さ」というのは、端的に言うと「想いが届かなかった怖さ」、なのだ。

教員の事情も生徒の事情も分からない。
だから、それは私が感じた「物語」で・・・・しかも、かなり悲観的だという自覚はある。だから、前回は書けなかった・・・・。

怖いのは、想いが届かなかったと知ること。
自分が教えてきた事が伝わっていなかったと知ること。
絆を、信じられなくなること。

彼女が、そんな風に追いつめられていないことを、祈っている。
切望している。

どうか、安らかでいて欲しい。


~~~~~
追記。
後半はとても感情的な文章だから、どうしようかと思ったけれど・・・・前回の記事にトラバしてくださった、あきさんの記事にトラバ送ります。

テーマ : 教育問題について考える - ジャンル : 学校・教育

タグ : 教育 人権

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