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2009.05.01 (Fri)

差違 2

(初稿:2009年5月1日)
(追記:2009年5月10日)

前記事 お仲間論~~類型化による思いこみ における言葉の訂正及び、コメント欄における話の整理・その1です。


以前、 差違 という記事で、私とstachyose さんとの考え方の違いについて書いた。
今回、お仲間論~~類型化による思いこみのコメント欄を通して、考え方の違いがより鮮明になってきたので、纏めておこうと思う。

注記:
この記事は、途中で訂正・追加を行うつもりでいる。
stachyose さんの考え方について、私の捉え方が間違っていたり、又新たな「考え方の違い」が出てくる可能性があるためである。


5月10日:訂正・追加終了として、コメント欄・トラバ欄を開放します。


~~~~~
私が、差違記事本文に書いた、

私が中畑さんをどう「評価」しようと、「当事者」の方をどう「評価」しようと、現状は変わらない。
現状を変えるのは、行動。
私は「裁定者」ではないから、「裁定」を下せるわけではないし、また「こうするべきだ」「こうあるべきだ」と、誰かに命令する権利などない。
ただ、「私はこう思う」と、言うだけ。
「解決」を望むのなら、「こうしてみては?」と、意見を書くだけ。

勿論。
私の考えることが間違っている可能性も否定しない。


この気持ちは、この記事を書いて1年が過ぎようとしている現在も、変わっていない。

【More・・・】

◎「荒らし行為」という言葉

「どの事実」が咎められているのかということを問題とすべき。


此処は、共通と見て良いと思う。

この為に、
○どの事実(言動)が非難の対象になっているのかがわかれば、その言動がなんと表現されるかを問題にしても仕方がない。
中畑さんのコメント様式を「アラシ行為」と表現することは「常識」の範疇にある。(stachyoseさん)

○主観に左右される表現を用いることによって、話の筋からはずれてしまう(言葉の問題になってしまう)のを防ぐため、『荒らしコメント』ではなく、例えば『「死ね」等のコメント・病気の揶揄のコメント』と表現してはどうか。(アカリ)
注釈:1)中畑さんの「どのコメント」を問題としているか。
2)「荒らし行為」と思うか。
3)「荒らし行為」であるか。
私は、2)や3)に話が移行することは、『どの事実が咎められているか(この場合の1))』ということから話が離れていくのではないかと思っています。


◎「常識」について。

まずは会話の当事者同士が常識をすりあわせる必要がある。


この点については、同意する。

○常識の範囲内で「荒らし行為」といっても問題ないのなら、「主観だ」ということに全く意味はない。それを言った人が言葉の問題にして、本質的なところから話をそらしている。(stachyoseさん)

●疑問:「会話の当事者」とは、誰を想定しているのだろうか?
(中畑さんの「質問」には、stachyoseさんは答える気配を見せない。)
 ↓
5月10日追記:stachyoseさんは「今自分が話している人」という程度の意味で使っておられるようだ。(お仲間論~~類型化による思いこみ コメント欄 より)

○その「常識」とはどんなものか、というのを明確化させる必要がある。「荒らし行為であるという常識」だけでは、説明不足である。
(それに対しての批判として、「常識の妥当性」が問われている、その端的なものが「主観」という事ではないかと思う。)(アカリ)

○疑問からの派生としての意見。
「常識」を元として、「荒らし行為である」と断言していて、「常識ではないから止めろ」「常識ではない行為を擁護している」という話の流れになっているのではないか。
その場合、「常識をすり合わせる」相手には(被対象者である)中畑さんも含まれてしかるべきと思う。


◎「発端」「経緯」「理由」について。

裁判では行為主体者から意図を聴き取ったりして「理由」や「経緯」を考察します。全体としてみたとき、法の世界で「行為」を裁くのに「理由」と「経緯」が必要なのは否定しません。


「悪い結果をもたらしたという事実認定」に対する考え方が違うのであろうと思う。

○行為が悪い結果を引き起こしていることを指摘するのに「発端」や「経緯」、また行為に及んだ「理由」などに言及する必要はない。(stachyoseさん)

5月10日追記:行為に及んだ「理由」に言及する必要がないと言ったのであって、その行為が悪いかどうか(反社会的かどうか)の判断「理由」が不要という意味ではない。(stachyoseさん)

注釈:「裁く」はある行為が悪い結果をもたらしたという事実認定がまずあって、次に具体的な償いの量を決定、つまり「どの程度」悪いのかということを確定させます。ですから、「裁く」のに「経緯」や「理由」を踏まえる必要がないといっているのではなく、「裁く」の出発点となる事実認定の段階では不必要だといっているのです(2008.04.30(水) 12:34)。

○「行為を評価する」にあたって、「発端」や「経緯」や「理由」を知らないままであることはままある。だが、「評価」するのなら正しく事実を認識する必要がある。(アカリ)

●疑問:stachyoseさんが「指摘する」というのは、stachyoseさんご自身のコメント内容からすると、「荒らし行為であるから止めろ、と指摘する」なのかとは思う。ただ、私はこれは「事実の指摘」ではなく「評価」であると思っている。「事実の指摘」であるならば、例えば「繰り返しコメント」「「死ね」等の罵倒」と言えばいい。それによって議論や話し合いから遠ざかっているという事実を示せばいい。


◎話を止めない方法
○(主観であると)文句を付ける側に対して、価値判断を必要としている部分を単なる主観として片付けることがダメだといっている。(stachyoseさん)

○話す側が、「常識」などとして自分の価値判断についての説明をしていないから、先ず話す側が説明をした方がいい。(アカリ)


◎自分の非の部分

理由が何であれ、自分の非は非として認めるべきである。


此処は私もそう思う。

●疑問:ならば、stachyoseさんはstachyoseさんの罵倒については謝罪するべきではないか?
 ↓
追記:『ちなみに、中畑さんのような存在はネット上から絶滅して欲しいと今でも思っています。言動を改めるのなら話は別ですけども。』(ざっと読んでみての感想。 コメント欄より)
 ↓
記事 言葉の撤回と謝罪を求めます。


◎『悪人はネット上から絶滅して欲しい』と言うことの是非

○悪いことをする人は消えて欲しい、と表明することは反社会的ではない。(stachyoseさん)

○「人間の存在の抹消を望む」という言葉であり、言うべきではない。(アカリ)
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