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2009.11.16 (Mon)

雨の話 三題

教育する心10の視座―教育現場で考える あなた、覚悟はできていますか、という本を読んでみた。

最近、私は題に数字のある本に弱いらしい・・・・7つの習慣―成功には原則があった!にしろ、8つの鍵にしろ、成功の9ステップにしろ。
まあ、余談はいいや。

内容としては、「あ、そうだね」程度の感想だったのだけど、この本に載っていた「雨の話」がとても印象に残ったので書いてみる。

先ずは、1つ目。

第一題
「自主的に判断し行動できる児童の育成」というテーマを挙げた、ある研究指定校の発表会の日、朝、小雨が降っていた。
校門の花壇で、花に水をやっている児童がいた。
ちょうどそこへやってきた参会者が、それを見て、「ああ、もう見なくてもわかるような気がする。帰るか。」と言った。連れの者も同感という顔で笑いながら校門を入っていった。(本文p.8より)


この本(教育する心10の視座―教育現場で考える あなた、覚悟はできていますか)の著者、石丸淳さんによると、この話を単純に「雨なのに自主的に判断できずに花壇に水をやる子が居る、このようなことのないように」という様に解釈してはいけないらしい。

【More・・・】

その説明のために、先ずは「雨の話」の2つ目を引用することにする。

第二題
ある雨の日の朝、校庭のひまわりの花に、二年生の児童が、如雨露で水を遣っていた。
登校してきた担任の先生が見かけて近寄っていった。
「○○君、ひまわりさんなんと言った。」と尋ねた。
「もう、水はいらん、いらん言うた。」
「そう、そう言うたの。ひまわりさんとお話ができたのね。」(本文p.9~10より)



著者によると、
第一題は批評家であり教育者ではない、という。
外から見て批判だけをするのではなく、

たずねる・聞く・働きかけることから始まるのが教育

だとしている。
その際

「どう聞くか・どう働きかけるか」

ということが大切だという。


第三題
ある雨の朝、県立養護学校(引用者注記;現在の特別支援学校)で、校門を入ったところにある花壇に、四年生の児童が如雨露で、水を遣っていた。
登校してきた先生が、見かけ声をかけた。
「今日は水やりしなくていいんじゃない?」
すると、児童が手をとめて返事をした。
「ぼくの水は、雨とは違う」(本文p.11~12より)



教育は、その子の内なる思いや願いに触れることから始まります。また、その内なる心に触れることが如何に難しいことかということを知るところから始まります。

と著者はいう。
指導はそこから始まるという。

更に。
著者は、漢字の「学」と「教」の古文字(藤堂明保「学研漢和大辞典」)
20091116063804.jpg
(「××」は「交流する」さまを表している)

を元に、

「学」「教」=交流すること


であるとし、

「雨の日の水遣り」第一題には「学」も「教」も成立せず、第二題・第三題には豊かな「学」と「教」の世界が始まろうとしている

と指摘している。


~~~~~~~

子どもに関わるとき。

子どもだけではなくて、人に関わるとき。

「関わろう」という気持ち、「相手を知ろう」という気持ちがある。
ただ。
「相手を知る」というのはとても難しい。
ともすると、自分の尺度で相手を見てしまうからだ。

「どう働きかけるか」という問題もある。

それでも。
「人」という文字が支え合ってできているように。
「人間」は「ひとのあいだ」と書くように。
人というのは、関わり合って生きているものだと思う。
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2010/04/21(水) 15:42:01 | ????
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