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2010.05.01 (Sat)

「障害」は免罪符ではない

とある会に参加したときの話。

【More・・・】


その会自体は、会員制というか、所謂クローズドの会と言える。

私に参加資格があるか、微妙ではあった・・・・なので、行っていいのかどうか、気になってはいたけれど。参加することができた。
最初の数回の会には参加していなかった為、話の流れの理解が困難でそこはもどかしくあったものの。地域の現状など、外からはなかなか知りうることの難しい事情を知ることが出来てよかったと思う。

末席に参加させて頂いてありがとうございました♪


・・・・で。
その話の余談的な部分で気になったことを、覚え書き代わりに。


~~~~~~
会の最後(?)に、小児科の先生や大学の先生等の話を聞く機会があった。

小児科の先生の話の中で印象的だったこと。

「最近は発達障害についての認知度が上がって、その事自体は喜ばしいことではある。
病院での会話にも、普通のように「うちの子、発達障害があるから」と言えることは良いと思う。
でも診察の時に子どもが机の上に上がったりしていて、親御さんは『うちの子、発達障害がありますから~~』なんてのほほんとしたりしている。言えるようになっただけいいことではあると思うが、でも、これはどうかなという気もした」

・・・・この話自体は、はっきり言って本編の「支援者が連携することの必要性」からははずれている。
だもので、話としてただ聞き流すだけになってしまった。


でも。
私は此処で立ち止まってしまったのだ。

その小児科には、私もお世話になっていたから、「机の上」がどのようなものであるかも容易に想像がつく。
靴のまま診察室まで行けるタイプの病院だから、土足で机の上に上がることになるじゃん。
衛生的にもどうかと思うし・・・・そして、机の上には医療器具やパソコンなどの精密機械もあったから、物理的に機械の上に上がったのかも気になった。



親御さんや身近な人が「発達障害がある」ということを、普通に話せる環境は素敵だと思う。

でも、だからといって何でもしていいものだろうか?
障害者も社会の中で生きる以上、社会のルールに「合わせる」というか、この場合は親が子どもに社会のルールを教えることも必要ではないかと思う。

一方で。
社会のルールからはみ出すというか、ついていくのにしんどさを感じる人がいる、そのしんどさには気づけるようになりたいとは思う。

社会の側からの歩み寄りも必要だと思う一方、集団の中に暮らす以上それなりのことも必要だと思う。
求めてばかりではいけないとも思う。


その辺りで、どうにも自分が納得できなくなってしまったのだ。



場合に応じてどう思うかは変わると思う。
それは、自分なりの基準がまだ揺らいでいる、ということなのだろう。


「自分または他人の身体や精神を損ねたり、損ねる危険性のある場合」での線引き、という一つの回答はある。
ただ。
本当にそれだけなのか、自分に問うた時に不明瞭なものがあるのだ。



~~~~~~
どうにも腑に落ちない、というもやもやがあることを記しておきたくなって記事にする次第。
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