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2007.10.14 (Sun)

反戦平和の手帖を読んで 1.正戦論

反戦平和の手帖―あなたしかできない新しいこと (集英社新書)と言う本が、宇宙人ピッピさんの「反戦平和の手帖」で取り上げられていて。(あ、でもこれは「転載記事」なんだね・・・・もともとは風の「夢から覚めた夢」 さんの記事「反戦平和の手帖 」、です。)
興味があったので、買って読んでみた。

で。読んでみての感想文。
1.では「正戦論」について。
2.では「平和憲法」について(反戦平和の手帖を読んで 2.平和憲法)。
3.では「平和」についての、まとめとして。(反戦平和の手帖を読んで 3.「平和」
それぞれ気になるところを引用させて頂きながら、書いてみたいと思う。

今回は、「正戦論」について。

【More・・・】

~~~~~~~~~~~~

平和でいるためには武力は必要という前提の下、戦争を限定的に肯定する論理を「正戦論」という。(本のカバー部分より)



で、この本(喜納昌吉さんとC・ダグラス・ラミスさんとの対談形式で綴られている。)は、「正戦論」には反対の立場。

以下、関係発言の引用。

喜納:人を殺すのにフェアもアンフェアもありません。目の前の人を殺すと同罪で、爆弾で顔の見えない人々を焼き尽くすことは犯罪ではない、そんな理屈は通らないでしょう。(P.27より)


喜納:暴力を阻止する目的で、さらなる暴力をふるう。これが戦争のカルマなんです。これを断ち切らない限り、暴力の連鎖からは脱却できないんです。
ラミス:正戦論を唱える人は、正当な目的があれば戦争はやむなし、と言います。しかしその目的が正しいかどうかなんて、誰にもわかりません。人間は神さまではないから。結局、誰もが「自分は正義だ」と主張する。そうやって譲らない人たちがぶつかりあって、終わりなき争いが繰り返されるんです。
 軍事力を持つことで、いつ、どの国が救われたのか前例がありません。多くの国が軍事力を持った二十世紀に、都市は爆破されて、残酷な手段でたくさんの人々が死にました。正戦論を疑わない人は、その現実をしっかりと見るべきです。(p.28~29より)



私は、この主張に全面的に賛成する。

戦争は外交の一形式であると同時に、暴力の発露である。


~~~~~~~~
少し、「正戦論」について書いてみる。

正戦より。
戦争は、「必要悪」と捉えられている。

もし現状が不正義と抑圧に満ちており、それに対して力をもって戦うことすら許されないとしたら、絶対的平和主義は結果として不正義を黙認し、肯定することになる。それは不正義への間接的荷担である。


そしてその論は、アウグスティヌス(354~430)によって古典的な形で定式化されるカソリックの正戦論、「国際法の父」とも称されるグロティウス(1583~1645)が論及している正戦の基準にはじまり、基本的に現代にまで受け継がれている。

正戦論の一般的な基準
1)戦争への正義(jus ad bellum)
  a)正当理由(justa causa)
  b)戦争執行機関が合法的権威であること
  c)動機の正しさ(recta intentio)・・・・・秩序、正義、平和の回復
  d)結果の善が戦争という手段の悪にまさる
  e)勝利への合理的見込み
  f)最後の手段であること
2)戦争における正義(jus in bello)
  ア)比例の原則:なされた不正を正すのに必要以上の力を行使してはならない。
  イ)区別の原則:非戦闘員を意図的に攻撃対象としてはならない。



これで私が特に懐疑的なのは、「正当理由」「結果の善」。
「正当理由」は、とある国の「自己正当化」であっってはならない、とすると・・・・そのようなもの、存在するのか疑問である。
「結果の善」は。「勝てば官軍」という言葉もある。
それに、戦勝国も戦敗国も、人・自然などの資源を損失したことに違いはない訳だし。


「正戦論」の乗り越え方より引用。

人間は尊厳やおのれの自由のために戦うことがある。それが「戦いの原像」であり、人間の歴史である。(中略)
「人間は戦う」というとき、その「戦いの原像」と今の戦争の現実とを比較しなければならない。中世の戦争と現代の戦争とを比較しなければならない。結論はこうだ。現実の戦争は、結局、人間的な戦いすら不可能にしてしまっている。(中略)したがって、「戦争」は時に、「戦争」という名のシステムによる懲罰行為や警察行為と同義となる。



ではどうすれば、というものについても「正戦論」の乗り越え方興味深いものがあったので、まとめておく。

1.現実の戦争をいつのまにか正当化することでも、あらゆる戦いを否定することでもなく、むしろ、<戦い>(=「人間的な葛藤」の意(引用者注))を人間にとりもどすことである。
2.「正戦論」をこの「文化的暴力」の現実的な文脈でとらえなおすこと。(、「正戦論」は、このシステム暴力の正当化のために意図的に誤用・利用されている為。(引用者注))



~~~~~~~
関連拙記事:
反戦平和の手帖を読んで 2.「平和憲法」
反戦平和の手帖を読んで 3.「平和」

平和~人間への信頼
「平和」関連拙記事リンク集です。
EDIT  |  16:43  |  ちょい真面目<平和関連>  |  TB(3)  |  CM(7)  |  Top↑

Comment

♪どーも、風です。

どーも、どーも、実は私も、FC2ブロガーなのです。偶然ですが(笑)
うつ病日記+読書日記を細々とやっております。

Yahoo!ブログは、凍結してあります。
荒らし攻撃にあっているピッピさんを後方支援すべく、時々、Yahoo!に立ち寄ります。

『反戦平和の手帖』、取り上げていただきありがとうございます。
すぐには答えが出しにくい問題ですが、「正戦論」を乗り越えて、「(絶対)平和」へ近づく努力をしてこそ、人類の発展だと思うのです。。。風
風 |  2007.10.14(日) 18:01 |  URL |  【コメント編集】

♪はじめまして。

こちらでは、はじめまして。

コメントありがとうございます。
FC2ブロガーさんとは思いませんでした(^^)

>荒らし攻撃にあっているピッピさん
一日1000コメント以上のやり方は見ていて不快なんです、私。
大変そうですよね・・・・。

>すぐには答えが出しにくい問題
そうですね。今、http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-646.html(リンク集)で勉強中ですが、そもそも「平和が続く」モデルとなるものもないし、手探り状態ですもの・・・・
『近づく努力をしてこそ、人類の発展』
私も、そう思います。

貴ブログにも遊びに行かせて下さい。
アカリ |  2007.10.14(日) 20:31 |  URL |  【コメント編集】

 大変興味深く読みました。コメントするのが遅くなりましたが……。
 たしかに、戦時国際法が生まれた当時の戦争と、現代の戦争は質的に異なるから、同列には論じられないということは言えるでしょう。
 しかし、それでも、自衛戦争は正義の戦争ではないでしょうか。
 いや、正義かどうか「人間は神さまではないから」わからないという考え方からするなら、不適切な表現ですね。なら、正当性のある戦争とでも申しましょうか。あるいは、戦うべき戦争であると。

 ラミス氏の言う「軍事力を持つことで、いつ、どの国が救われたのか前例がありません」とは、何をもってそう述べているのかわかりません。
 この方は、第2次世界大戦で、ドイツやイタリアに対して、英国や米国やソ連が戦ったことで、ヨーロッパ諸国が救われなかったとでも言うのでしょうか。あるいはわが国に対して米英や中国が戦わなければ、東~東南アジアをわが国が支配することになったと思いますが、それを甘受すべきだというのでしょうか。
 朝鮮戦争で国連軍が参戦しなければ、韓国は北朝鮮に併呑されてしまっていたでしょう。そうなれば朝鮮半島の住民全てが金日成・正日父子の独裁下に呻吟することになり、またわが国への脅威ともなったことでしょう。
 湾岸戦争で多国籍軍がイラクに侵攻しなければ、クウェートはイラクに併合されたままだったでしょうし、それを許せばさらに戦後の世界秩序を軍事力で改変しようとする者が相次ぐことになったのではないでしょうか。

 憎しみの連鎖を絶つために、敢えて無抵抗主義をとれという主張は、どうにも理解に苦しみます。
 何故なら、それは結局、侵略者やテロリストを喜ばせるだけのように思えるからです。
 引用されている「不正義への間接的荷担」にほかなりません。
 人間には、侵略や、不当な支配に抵抗する権利があります。

 佐々木寛氏の「「正戦論」の乗り越え方」についても、具体的に何を言わんとしているのか不鮮明です。
 戦いを「システム」ではなく「人間」に取り戻すには、どうすればいいのでしょうか。国家の代表を1人ずつ選んで戦わせ、勝った方を戦勝国と見なすとでも言うのでしょうか。そんなことは単に非現実的というだけでなく、国家の在り方として不誠実だと思います。
深沢明人 |  2007.10.30(火) 00:03 |  URL |  【コメント編集】

♪「ラミスさんの意見」とずれるところもありますが。

深沢明人さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
お返事、遅くなっているようでごめんなさいね。

で。
私は、ラミスさん・喜納さんのご意見については、正直この本(「反戦平和の手帖―あなたしかできない新しいこと (集英社新書)」)しか読んでいませんので・・・・「本に記載されていた部分」「読んでの私の解釈(?)」とで、お返事とさせて頂きます。ご了承くださいませ。

○「正当性のある戦争」について。
先ずは、ラミスさんの言葉から。『(次々と起こる戦争は)結局、「自分は正義だ」という主張のぶつかりあいになっている』『(圧倒的な兵力で他国へ侵攻し、一般の民衆を巻き添えにする今のアメリカのような)わざわざ出かけていって武力行使するのは「自衛」とか「抵抗」と普通いわないでしょう』
そして。別の方だったかと思いますが、「自衛と侵略の違いはどこにあるのか?」という言葉も読みました。

それを読んだ私は、「自衛と侵略には明確な違いはない」と考えています。どちらも、暴力には違いありません。
ただ、私は自衛行為自体には反対とまでは言えません。自分ひとりなら無抵抗主義にもなれますが、「守るもの」を抱えた場合、その者に危害が及ぶようなら抵抗すると思うし、又抵抗するのが人間としては「自然な」行為と思うからです。
あえていうなら、「相手を攻めに行く事のない」姿勢が「自衛」なのかな、と思っています。

○「軍事力を持つことで、いつ、どの国が救われたのか前例がありません」について。
先ずは、深沢さん(HNが氏名のような構成ですので、こう書かせて頂きます。お嫌でしたら教えてくださいませ)の言われているような戦争についての見解は本にはなく、ベトナム戦争におけるアメリカに「正当性はあるのか?」というものが中心でした。
ただ。歴史というものが、「戦勝国」に都合よくなってしまう現実は、あると思うのです。歴史には「もしも」というものはありませんから。
深沢さんの挙げた例が「戦勝国に都合よい」例か、までは、正直私には分かりません。
ラミスさんが言われている「救われた前例がない」というのは。
武力行使を始めた側にとっても、武力行使を受けて抗戦した側にとっても、それだけ人もその他の資源も損失・消耗してしまうという意味に、私はとっています。

>憎しみの連鎖を絶つために~~。
私は、逆に分からないのです。
憎しみの連鎖を断つための方法が、「武力の保持」にあるとする姿勢が。
暴力には暴力で、とすると、連鎖はいつまでも続くという意味で「非暴力」の姿勢には頷かされています。

>人間には、侵略や、不当な支配に抵抗する権利があります。
先にも述べましたが、私自身は「守るもの」への暴力には抵抗します。ですから、完全に無抵抗かというと、違うと思います。でも、抵抗が相手を傷つけないようにとは、思うのです。
又、暴力の予防の為に攻めに行こうとは考えません。そして、「攻められたときの為に」武器を持とうとするのは、或いは過剰防衛になるのではと思うのです(今の状況だと、核兵器などのように、広範囲・無差別・長期的に被害を与える武器を保持することになりますからね・・・・)

>戦いを「システム」ではなく「人間」に取り戻すには
具体策は私が記事に挙げた文章には、ありませんね。
佐々木さんの主張について、ネットで少し探したのですが、私は見つけられませんでした。
なので、私の感じたものだけになってしまいますが。
深沢さんの言われるようなものではないと考えています。
兵士の「人間としての側面」、国の「そこに住む人達」という側面。そこに焦点を当てるべき、という主張だと私は思いました。
先ほどの「正当性」の話。個々人の「正当性」はあるのですが、それはあくまで個人のものにしか過ぎず、国としての「正当性」となると、それをもって暴力の発露としていいかということに、私は懐疑的なのです。
その暴力が「目の前の人を殺すのでなく、爆弾で顔の見えない人を殺す(そしてこれには、罪悪感は育ちにくいです)」という類のものになっているからこそ、なおさらなのです。
アカリ |  2007.11.03(土) 15:45 |  URL |  【コメント編集】

アカリさん、お返事ありがとうございました。
『反戦平和の手帖』は読んでいないので、参考になります。

やはり、ベトナム戦争、あるいはイラク戦争における米国のようなケースが、批判の対象となっているのですね。
とすれば、「正戦論」を乗り越えると言いつつも、それは米国のような国に対してのみ要求されているわけで、北ベトナムやフセイン政権に対しては要求されていないのでしょう。
真に暴力の連鎖を断ち切ろうとするならば、双方に暴力の放棄が要求されなければならないはずです。しかし、そうではない。
これは、結局のところ、当事者の一方への荷担でしかないと思います。

>私は、逆に分からないのです。
>憎しみの連鎖を断つための方法が、「武力の保持」にあるとする姿勢が。

私は、武力の保持により憎しみの連鎖が断たれるなどとは思っていません。
私が考えているのは、単に「備えあれば憂いなし」といったレベルの話です。

ただ、そう言われて初めて気付いたのですが、戦うことにより、かえってわだかまりが解消されるといったケースもあると思います。
例えば、わが国は米国に敗北し、原爆まで落とされたわけですが、そのことにより強い反米感情があるかというと、そうでもないですよね(最近でこそ公然と述べられるようになってきましたが、まだまだ少数派でしょう)。
逆に、ソ連に対しては強い反発がありました。これは、ソ連が中立条約を破って参戦したこと、略奪や強姦や抑留をしたことに加え、当時既にわが国の戦力が十分でなく、まともに戦っていないということもあると思います。
韓国の反日感情が未だ続いているのも、韓国が戦わずして日本に併合されたこと、そして戦わずして解放されたことへのフラストレーションが背景にあるのではないでしょうか。
まあこれは、余談ですが……。

>深沢さんの言われるようなものではないと考えています。

私も本気であのように考えているわけではありません。佐々木氏の説を具体化するとどうなるかという私なりの想像の産物です。

おじゃましました。
深沢明人 |  2007.11.17(土) 19:35 |  URL |  【コメント編集】

♪「備えあれば」の「備え」がよく分からないでいます・・・・

深沢さん、再コメントありがとうございます。

>北ベトナムやフセイン政権に対しては要求されていないのでしょう。
>真に暴力の連鎖を断ち切ろうとするならば、双方に暴力の放棄が要求されなければならないはずです。

についてですが。
お返事になるかな、と私が思う記述を提示させて頂きます。
『ラミス:(前略)べ平連のスローガンは「殺すな」なんです。絶対平和主義の主張。敵味方関係なく、殺すな。しかし私を含めて(引用者注:ラミスさんは軍人でしたがベトナム戦争時除隊して、その後べ平連に参加しています)、べ平連のほとんどの人が正直な気持ちベトナム解放民族戦線に勝ってほしかった。(p.190)』
『ラミス:あくまで私の考えなのですが、今のアメリカに抵抗する勢力で、そのまま応援できるところはどこにもない。アルカイダが勝ったとしても、世界がいい方向に行くとは思えないのです。
喜納:アルカイダが主導権を握っても、中東の国々がよくなるかというと、そうじゃない。
ラミス:オサマ・ビンラディンはホーチミンのような人間だとは思いません。だから、今度こそ平和主義の出番だと思っています。どの立場にも「暴力はいけない」と堂々と言います(p.191)』
『ラミス:パレスチナの人々に、「武器を下ろせ」とは言えない。ですが、「あなたたちの武力行使は、本当に効果的と思いますか」とは質問できます。(中略)非暴力は非現実的に見えますけど、彼らが使っている暴力は現実的には成功していないんです。(p.200~201)』

ごめんなさい、2007.10.30(火) 00:03 のコメントを拝見して、「過去の戦争の記述」にしか頭が働いていませんでしたので、提示が遅くなりました・・・・
私の理解は『過去は過去。そして今の状況ではどの立場に対しても絶対平和主義の主張をするべき』というものです。

>単に「備えあれば憂いなし」
此処もね、分かるような気はするのですが・・・・
隣国の武器の備えを見て、じゃあ自国は増やそう、その連鎖が武器保持量の増大にもなっていて。
そういう武器力が、思い込みによる「正義の自衛戦争」に使われたときの被害も考えうるし。
(例えばテロなどに)無秩序に使われる可能性も出てきますよね。(関連拙記事 http://planetnine.blog97.fc2.com/blog-entry-645.html

>戦うことにより、かえってわだかまりが解消されるといったケース
ああ、そういう視点もありますね。
人と人だと、「喧嘩することによって仲良くなる」事も考えられます。
ただ、それは「戦って滅ぶ」という可能性を視野に入れていないだけ、という気もするのです。
現在の軍事力だと、「滅ぶ」のではないか、という危惧があります。

>私も本気であのように考えているわけではありません。
ごめんなさい、おそらく本気ではないだろうなとは思いました。(それだけ佐々木さんの説は荒唐無稽だと捉えている、という意味に思ってはいました・・・・)
でも、私にとっては「理論」ではあっても「空論」とは思えませんでしたので、あのようなお返事となってしまいました。

深く考えるきっかけを頂き、ありがとうございます。
アカリ |  2007.11.18(日) 03:46 |  URL |  【コメント編集】

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 |  2008.03.09(日) 18:49 |   |  【コメント編集】

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