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2008.04.29 (Tue)

「批判」ということ

人を、傷つけたとする。
傷つけたことは、悪い。
それは当然のこと。

でも。
「どの程度」傷つけた、なんて、分かるのか?
体の傷なら見ることができる。
心の傷は、受けている当人にも見ることはできないのに。

でも。
何故その行為をするに至ったのか?
どうしようもない事情があったかも知れないのに。

心を法で裁くことは出来ない。
法で裁けるのは、ただ行為のみ。

行為を裁くにあたって、「理由」や「経緯」を鑑みるのは必要。
そう。
法の世界でも、「行為」を裁くのは「理由」と「経緯」が必要なのだ

【More・・・】

~~~~~~~
批判。
Yahoo!辞書「批判」より。

1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。



更に、調べてみる。
Yahoo!辞書「批評」より。
◇「批判」は本来、検討してよしあしを判定することで「識者の批判を仰ぎたい」のように用いるが、現在では、よくないと思う点をとりあげて否定的な評価をする際に使われることが多い。「徹底的に批判し、追及する」「批判の的となる」「自己批判」


前記事:何の為に批判するか?の記事やコメントを読んでいて、感じていた違和感。
違和感、というか、私自身がきちんと言葉で説明できていなかったな、と思うところ。

批判・非難が何を目指すものとして為されるべきを考えるべきである。
ただ、批判の為の批判、否定の為の批判では意味がない。

と、私は書いた。
本来、私がイメージしていた「批判」とは、意見の検討。
でも、言葉としてはっきりしていなかった。
それで・・・・批判行為が「良くないと思う点をとりあげること」であり、その「良くないと思うことを糾弾すること」に見えて、「じゃあ、その批判は何を目指しているものなのだろう?」という疑問を抱いた。

この「疑問」は「とある事象に対する評価」、ではない。
評価、についてはまた別の記事にするけれど、私は「評価」というものをとても重い意味で捉えている、とだけは書いておこう。(参考:次記事 「評価」ということ

「批判」が、「良くないことをとりあげる」というものなら、その目的は「それを正すこと」とする。
「正すべき」とするのなら、「どう誤りなのか」「どのような欠点があるのか」考えるべきだ。
その、「どう誤りなのか」ということを考えるにあたって、「理由や経緯を考察」することが必要と思うから。


~~~~~~
此処までは、纏まった。

でも、まだ足りない気がする。
もう少し、考えてみることにする。

~~~~~
関連:「評価」ということ
EDIT  |  11:53  |  ちょい真面目<心理・思想>  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

Comment

♪理解してもらえるでしょうか?

>傷つけたことは、悪い。

これには経緯や理由を考察する必要がないということを主張してきました。
そう、傷つけたという結果をもって行為が悪かったということには問題がないのです。傷つけたという事実の提示さえできていれば。


>「どの程度」傷つけた、なんて、分かるのか?

責任の範囲を確定させるということは「どの程度」を考えることから始まります。それは紛争当事者同士の話し合い、あるいは第三者の調停のもと進められます。
分かるか分からないかではなく、決めなくてはならないのです。法の世界であれば、刑の重さや賠償の程度を検討するのに必要なポイントだからです。

>心を法で裁くことは出来ない。
>法で裁けるのは、ただ行為のみ。

もちろん裁く対象は「行為」ですが、その「行為」がもたらした悪い結果に対してどのような刑を適用するか、あるいは補償させるかを検討する上では動機などの「心」に踏み込んだ考察をしていますよね。被害者側についてであれば「どの程度」名誉を毀損されたのかなども鑑みる必要があります。

結果として可罰的ではないという判断がなされて刑が適用されないこともありますが、行為が悪い結果をもたらしたという事実が消えるわけではありません。だから、まず始めに悪い行為を悪いと断ずることには何の問題もないのです。それができないのであれば、あらゆる悪い行為が野放しになる危険があります。


>行為を裁くにあたって、「理由」や「経緯」を鑑みるのは必要。
>そう。
>法の世界でも、「行為」を裁くのは「理由」と「経緯」が必要なのだ

逮捕・起訴の段階では行為に及んだ「理由」や「経緯」に関係なく、問答無用で行為を止めに掛かりますよね。しかし、裁判では行為主体者から意図を聴き取ったりして「理由」や「経緯」を考察します。全体としてみたとき、法の世界で「行為」を裁くのに「理由」と「経緯」が必要なのは否定しません。

「裁く」はある行為が悪い結果をもたらしたという事実認定がまずあって、次に具体的な償いの量を決定、つまり「どの程度」悪いのかということを確定させます。ですから、「裁く」のに「経緯」や「理由」を踏まえる必要がないといっているのではなく、「裁く」の出発点となる事実認定の段階では不必要だといっているのです。

「悪い結果をもたらしたという事実認定」は上記の「傷つけたことは悪い」に当たります。現状で、中畑さんは「傷つけたことは悪い」との指摘に対して「傷つけた」ことすら事実として認めていないことが問題であると思います。
stachyose |  2008.04.30(水) 12:34 |  URL |  【コメント編集】

♪立ち位置の違いが、よく分かりました。

stachyose さんとのご意見の相違について、此処や別場所のコメント、そして他の方々のコメントを元に、考えが纏まってきました。

立ち位置の違い、なんです。
解決の方法等については、何ら違いは見いだせていない・・・・ただ、立ち位置が違うから、現状認識も違いが生じる・・・・当たり前といえば、当たり前なんですけどね。

これから、記事にしてみます。
ただ、私の言葉が上手くないということもあるし、もしかしらstachyose さんにとっては容認できない考えかもしれません・・・・。

自分の傲慢さに吐き気がする。
何処かの詩歌で、私はこう言いました。
私はある意味、悪魔である。
何処かの記事で、私はこう言いました。

他人を「裁く」という行為、それはとても重いです。
だから、想いが言葉になかなか纏まらなかったのかも、しれません・・・・。

~~~~~
一つだけ。
>現状で、中畑さんは「傷つけたことは悪い」との指摘に対して「傷つけた」ことすら事実として認めていないことが問題であると思います。

中畑さんは「傷つけていない」とは、書いていなかったと思います。
ただ、「諸管理人さんと同じことをしている」と。
それをもって「傷つけたことを事実として認めていない」というのは、言葉の意味を、ある意図を持って解釈することにつながると思います。
アカリ |  2008.05.06(火) 08:14 |  URL |  【コメント編集】

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